多くの小売業がコロナを機にDXを推進しています。しかし、その取り組みは本当にDXと呼べるのか。これまでの課題をデジタルで解消しているのか。小売業がDXで真に向き合う課題とは何か。日本の小売業のDXに精通するデジタルシフトウェーブ 代表取締役社長の鈴木康弘氏(元セブン&アイ・ホールディングス CIO)と、グローバルにDXの最前線で活躍するゴールドラット・ジャパンCEOの岸良裕司氏が「小売DX」について議論します。
小売事業者は過剰在庫にメスを入れよ
鈴木:新型コロナウイルス感染症のまん延を機に、小売業のDXは加速しました。しかしそれは接客を非対面化したり非接触で注文したりできるフロント系システムの導入といった一部に限ります。DXで新たな事業の柱を築いたり、既存のビジネスモデルを見直したりといった変革は今なお不十分だと感じます。
岸良:同感です。コロナのように新たな変化に追随することは必要ですが、これまでの小売業が抱える課題をデジタルでどう解消するかに向き合うことこそ必要です。小売業の場合、多くの事業者が課題の1つと捉えているのが「在庫」ではないでしょうか。過剰在庫をどうなくすか、売りたいときに商品が欠品する状況をどう解消するか。小売業にとって永遠のテーマともいえる「在庫」をDXでどう解決するか。この取り組みこそ小売事業者にとって欠かせません。
鈴木:おっしゃる通りです。小売業にとって諸悪の根源は「在庫」に他なりません。セブン-イレブンの場合、出店当初は大規模なスーパーマーケットが乱立する中での小規模店舗という位置づけでした。そのため、卸売業者から商品を仕入れようとするとケース単位で納品してくるケースがほとんどで、小規模なセブン-イレブンではすべての商品を陳列しきれないという状況に陥りました。その結果、バックヤードが在庫で溢れ返ってしまいましたね。
そこでセブン-イレブンでは、何が売れているのかを「正」の字を書いて一品ずつ把握するようにしました。さらに卸売業者に対し、ケース単位ではなく商品ごとに必要な個数だけ納品してもらうよう頼み倒しもしました。商品の搬入を1日1便から1日3便に変える取り組みも打ち出しましたね。
岸良:在庫の鉄則は、今いらないものは作らない(仕入れない)。たとえ明日売れると分かっていても、当日分しか製造しない(仕入れない)。こうした姿勢を長年打ち出し続けているのがトヨタです。この方針こそ、世界でもっとも尊敬される企業の一社へと押し上げた要因の1つだと思いますね。
鈴木:在庫の考え方でモデルケースになるのは、小売業ならセブン-イレブン、製造業ならトヨタでしょうね。両社の取り組みを掛け合わせると、欠品も過剰在庫もない世界を描ける気がしますね。
岸良:もっとも在庫問題は、デジタルでどう解消すべきかを考える以前に悩ましい問題があります。それは、商品をたくさん売りたいと考えるメーカー側の営業担当者と、商品を安く買いたいと考える小売事業者側の購買担当者の思惑です。
メーカーの営業担当者はできるだけ多くの商品を小売事業者に売りたい。一方の小売事業者の購買担当者はできるだけ安く商品をメーカーから購入したい。つまり、両社の思いが重なるのは、「安くたくさん売る(買う)」ということになります。これが双方にとってWin-Winになるわけです。ただしこのWin-Winは、メーカーの営業担当者と小売事業者の購買担当者に限った話です。会社全体からすれば、小売事業者は過剰在庫を抱えてしまうことになるのです。小売事業者は在庫をさばくのに手一杯で新商品の仕入れにまで手が回らない、店舗の魅力が損なわれるといった影響を被ることになるのです。
鈴木:小売事業者側の視点で申すと、「これは絶対売れますよ」って大量の商品を押し込んでくるメーカーの営業担当者の売り方に問題を感じますね。
岸良:確かにそうした一面がメーカー側にはありますね。半面、メーカー側の視点で言えば、商品がいつどれくらい売れたのかといった購買情報を共有したがらない小売事業者側の姿勢にも問題があると感じます。小売事業者の中にはメーカーに対し、購買情報を有償なら提供するというケースもあります。これではメーカーも適切な個数を販売しづらいのではないでしょうか。
鈴木:セブン-イレブンでは「セブンプレミアム」というPB(プライベートブランド)商品を展開していますが、この購買情報はメーカーと共有しています。その結果、セブンプレミアムの在庫は驚くほど少ない状況を作り出しています。もっとも店内はPB商品だけではなくNB(ナショナルブランド)商品も扱わなければなりません。こうした混在環境がデータ共有を難しくしているように感じます。
岸良:適正在庫数を維持するため、メーカーと小売事業者双方が一体となり、購買情報をどう活用するのかを考えるべきでしょうね。商品の製造から消費者の手に届くまでの一連の過程、つまりサプライチェーンをどう改革するか。サプライチェーンを構成する関連企業が一丸となってDXに取り組むべきだと考えます。グローバルでは当たり前の取り組みですし、そういう企業が勝ち組になっていますよね。
鈴木:とはいえサプライチェーン改革は自社だけで完結しない大掛かり取り組み。取引先との調整や関連企業統一のシステムやルールを導入することまで描かなければ実現は難しいと感じます。
岸良:おっしゃる通りです。ただし、大掛かりな改革なしに営業部門の方針展開のみで在庫適正化に踏み切った事例もあります。それがオムロン ヘルスケアです。医療機器などを扱う同社は商品納品先である小売事業者の困りごとに向き合い、過剰在庫が余計な仕事を増やしているという結果にたどり着きます。そこで、「店頭で売れるまで商品が売れたことにしない」という考え方に舵を切ったのです。つまり、小売事業者に納品して売上が成立するのではなく、小売事業者が顧客に販売した時点で売上が成立するという考えにシフトしたのです。小売事業者の在庫管理をオムロン ヘルスケアが引き受け、最小在庫で欠品なく商品を売れるようにもしたのです。その結果、商品の在庫回転率が改善し、売れ筋商品として値下げせずに売れるようになったといいます。
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さらに同社では、営業方法もX(変革)しました。自社商品を購入すれば、これだけ在庫を削減できる、欠品が減ってこれだけ利益が増えるといった数値結果を表で示すようにしたのです。これまでは商品カタログを使い、商品の機能や特徴を訴求するばかりだったのを、商品購入による財務効果を示すことで、小売事業者は具体的な財務効果を数字で確認できるようになったのです。購買担当者ではなくCFO(最高財務責任者)やCEO(最高経営責任者)に説明するという営業スタイルにシフトしたんです。
鈴木:在庫が財務にどう影響するのか、過剰在庫を見直すことで自社にどれだけの利益を生み出すのかといった効果を示せるのは大きいですよね。もっとも事業部の責任者や部長レベルの人でも損益計算書(PL)や賃借対照表(BS)を正しく読めない人が多い気がしますね。こうした責任者の勉強不足を解消することも小売事業者にとっては必要かもしれませんね。
在庫の回転率を改善すれば利益を生み出せる。この考え方を理解できるかできないか。在庫問題を解消するには、まずは小売事業者の理解力が求められるでしょう。一方で、メーカー側は小売事業者に分かりやすく説明する姿勢も求められるでしょうね。
岸良:デジタルを活用し、在庫をリアルタイムに可視化する取り組みの重要性は増しています。しかし、ツールで在庫を可視化するだけで問題解決すると思ったら大間違いです。そこには古い慣習やルールが根付いているケースがあります。属人的な業務を取り除けない企業風土が問題になるケースもあります。既存の考え方やツールを取り除き、会社全体が変革するために必要な方法を模索することが大切でしょう。
特に小売は、グローバルで見ても競争の激しい業界です。これまでの既成概念を打ち破るゲームチェンジャーが次々と登場し、競争のルールが劇的に変化しているからです。だからこそ、大切なのは「ツールよりもルール」です。変化を先取りするルール策定に目を向け、X(変革)を迅速に進めるかが勝ち残るためには求められるのです。
岸良裕司氏 ゴールドラット・ジャパン CEO
1959年生まれ。ゴールドラットジャパンCEO。全体最適のマネジメント理論TOC(Theory of Constraints:制約理論)をあらゆる産業界、行政改革で実践。活動成果の1つとして発表された「三方良しの公共事業改革」はゴールドラット博士の絶賛を浴び、2007年4月に国策として正式に採用された。成果の数々は国際的に高い評価を得て、活動の舞台を日本のみならず世界中に広げている。2008年4月、ゴールドラット博士に請われてゴールドラットコンサルティング(現ゴールドラット)ディレクターに就任し、日本代表となる。
鈴木康弘氏 デジタルシフトウェーブ 代表取締役社長、一般社団法人日本オムニチャネル協会 会長
1987年富士通に入社。SEとしてシステム開発・顧客サポートに従事。1996年ソフトバンクに移り、営業、新規事業企画に携わる。 1999年ネット書籍販売会社、イー・ショッピング・ブックス(現セブンネットショッピング)を設立し、代表取締役社長就任。 2006年セブン&アイHLDGS.グループ傘下に入る。2014年セブン&アイHLDGS.執行役員CIO就任。 グループオムニチャネル戦略のリーダーを務める。2015年同社取締役執行役員CIO就任。 2016年同社を退社し、2017年デジタルシフトウェーブを設立。同社代表取締役社長に就任。 デジタルシフトを目指す企業の支援を実施している。SBIホールディングス社外役員、日本オムニチャネル協会会長、学校法人電子学園 情報経営イノベーション専門職大学 客員教授を兼任。
DXマガジン編集部編集後記
小売・流通業界の「在庫」問題。多くの企業がSCMや生産管理、需要予測などのシステムを導入して在庫適正化に取り組んできたものの、抜本的な解決に至るケースは必ずしも多くありません。しかし今後、環境対策の面からも企業は在庫適正化にいよいよ本腰を入れなければならなくなるでしょう。
鈴木氏が述べたセブン-イレブンや岸良氏が述べたオムロン ヘルスケアの事例は、ツール導入で解決を試みたのではなく、仕組みや考え方、ルールを見直して解決を図った好例です。デジタルに頼らずともX(変革)は起こせるというのを思い知らされました。次回はDXのカギを握る人材育成について両者が議論します。ぜひご期待ください。