2026年5月8日、厚生労働省が公表した「毎月勤労統計調査2026年3月分結果速報」は、久しぶりに明るいトーンの見出しを生み出しました。実質賃金がプラスに転じた——そう聞けば、多くの人が「ようやく賃上げが物価に追いついた」と感じるかもしれません。しかし数字を丁寧に読み解くと、その喜びには留保が必要であることも見えてきます。
表面の数字は確かに明るい
まず今回の結果のポイントを整理します。就業形態計の現金給与総額(規模5人以上)は317,254円で前年同月比2.7%増、51ヵ月連続のプラスです。きまって支給する給与は291,517円で3.0%増となり、33年11ヵ月ぶりの2ヵ月連続3%以上という記録を更新しました。所定内給与も3.2%増で、33年5ヵ月ぶりの3ヵ月連続3%以上という節目を達成しています。一般労働者に限ると、所定内給与は3.7%増で調査開始(1994年1月)以来初の3ヵ月連続3%以上という歴史的な水準です。パートタイム労働者の時間当たり給与(所定内給与)も1,431円で3.8%増、57ヵ月連続のプラスを維持しています。そして最も注目を集めるのが実質賃金です。消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く総合)で実質化した現金給与総額は1.0%増、消費者物価指数(総合)で実質化したものは1.3%増で、それぞれ3ヵ月連続・4ヵ月連続のプラスとなっています。
「プラス」の背景にある物価の動き
実質賃金がプラスになった理由は、名目賃金の伸びだけではありません。実質賃金は名目賃金を物価指数で割って算出するため、物価の上昇が鈍化すれば、名目賃金の伸びが変わらなくても実質値はプラスに近づきます。今回の参考値を確認すると、消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く総合)の前年同月比は1.6%上昇、消費者物価指数(総合)は1.5%上昇です。名目賃金が2.7%増に対し、物価上昇率が1.5〜1.6%程度に収まったことで、差し引き約1%の実質プラスが生じた形です。換言すれば、物価がさらに上昇すれば、同じ名目賃金の伸びでも実質はマイナスに転じます。実質賃金のプラスを「定着」と呼べるかどうかは、今後の物価動向に大きく左右されます。
「特別に支払われた給与」の1.5%減が示すもの
もう一点、注意して見ておきたい数字があります。特別に支払われた給与(賞与や一時金など)は25,737円で1.5%の減少です。きまって支給する給与が堅調な一方、賞与などの一時的な支給は前年を下回っています。毎月の定期給与が底上げされていることは、賃上げの「定着」という観点では評価できます。しかし賞与は年収全体に占める割合も大きく、特に製造業や金融業・保険業などの業種では支給額が大きくなりやすい項目です。定期給与の伸びと合わせて、年間を通じた賃金の実態を見る必要があります。
共通事業所ベースで見た「実勢値」
今回の速報には、共通事業所(前年同月と当月の両方で調査対象となった事業所)による参考値も公表されています。こちらは調査対象事業所の入替えや労働者数の変動の影響を除いた、いわば「同じ事業所で何が起きたか」を示す数値です。
共通事業所ベースの現金給与総額は就業形態計で2.5%増、一般労働者で2.5%増、パートタイム労働者で3.1%増という結果です。全体の前年同月比(2.7%増)と概ね近い水準にあり、構成の変化に依存しない形でも一定の賃金上昇が確認できます。
数字の裏にある問いかけ
今回の統計が示す「3ヵ月連続の実質賃金プラス」「33年ぶりの記録更新」という見出しは事実です。しかしその数字を成り立たせているのは、名目賃金の上昇と物価上昇の鈍化という二つの要因の組み合わせです。春闘などを通じた賃上げの動きが所定内給与に着実に反映されていることは、構造的な賃金上昇への一歩として評価に値します。一方で、実質賃金の水準そのものは2020年平均を100とした指数で86.8に留まっており、物価上昇前の購買力にはまだ遠い距離があります。
「賃金が上がっている」という事実と、「生活が豊かになったか」という実感の間には、まだ埋めるべき距離が残っています。毎月の統計を読む際には、その両方の視点を持つことが重要です。
レポート/DXマガジン編集部 權






















