第1回|知らないことを話すから、緊張するんだ
父が亡くなった。
鈴木敏文。セブン-イレブン・ジャパンを日本最大のコンビニエンスストアチェーンへと育て、流通業の歴史を塗り替えた人物。業界では「小売の神様」と呼ばれ、多くの経営者が師と仰いだ人物。
しかし私にとっては、父だった。
この連載では、経営者・鈴木敏文の評伝を書くつもりはない。それよりも、息子として間近で見てきた父の背中と、直接受けた言葉を手がかりに、いま私が経営者として何を引き継ごうとしているかを書きたいと思う。DXという言葉が飛び交い、AIが経営の議題に上り続けるこの時代に、父の哲学はどう響くか。それを確かめるための、私自身の作業でもある。
最初に紹介したいのは、私が社会人になった頃に目撃した光景だ。
父は、大勢の人間の前で話すとき、まったく緊張しなかった。何百人の聴衆を前にしても、幹部が居並ぶ会議室でも、淀みなく、確信を持って言葉を紡ぎ続けた。その姿が、当時の私には不思議でならなかった。人前で話すことへの恐怖は、誰もが持つものではないのか。なぜ父にはそれがないのか。
思い切って聞いてみた。「なんで緊張しないの?」
父は間髪を入れずに答えた。
「知らないことを話すから緊張するんだ」
その一言が、今も耳に残っている。
緊張とは、準備不足の裏返しだ。知っていることを話す人間は、緊張しない。自分が積み上げてきた現場の経験、検証し続けてきた仮説、骨の髄まで理解した顧客の行動——それを話すだけだから、揺れない。逆に言えば、壇上で足が震える人間は、「わかったふり」をしているということでもある。
これはプレゼンの技術論ではない。経営の話だ。
父が生涯をかけて実践したのは、自分の頭で仮説を立て、自分の足で現場を確かめ、自分の言葉で語り続けるという一貫した姿勢だった。セブン-イレブンの単品管理という経営手法も、突き詰めれば「自分が知っていることだけを判断の根拠にする」という哲学の産物だ。顧客アンケートではなく、顧客観察。データの出力ではなく、仮説の検証。
DX時代の今、経営者に問いたい。
あなたは自分の会社の顧客を、本当に「知っている」か。ダッシュボードの数字は見ているかもしれない。しかしその数字の背後にある顧客の生活を、肌感覚で知っているか。自分の言葉で語れるか。
父が緊張しなかったのは、特別な度胸があったからではない。誰よりも深く、顧客のことを知ろうとしていたからだ。知ることが、すべての自信の源だった。
知らないことを話すから、緊張する。知っていることしか話さないから、揺れない。
この言葉を、私は何度も自分に突きつけてきた。そして今も、突きつけ続けている。
【週刊SUZUKI 特別連載「父・鈴木敏文が遺したもの——次の時代の変革者へ贈る経営者の背中」その1】

筆者プロフィール
鈴木 康弘
株式会社デジタルシフトウェーブ
代表取締役社長
富士通、ソフトバンクを経て99年に現セブンネットショッピングを設立。セブン&アイHLDGS.取締役執行役員CIOとしてグループのデジタルトランスフォーメーションを推進。17年にデジタルシフトウェーブを設立し現職。日本オムニチャネル協会会長等も務める。






















