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インタビュー

たとえ1本の部品でも、何としても納期を守る。ミスミのDXを支えた「変える文化、変えない執念」【後編】

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2025年度のDX銘柄において「DXグランプリ企業2026」に選定されたミスミ。前編では、その製造を担う駿河生産プラットフォームが、約20年かけて人の経験と判断に頼るものづくりを変えてきた歩みを紹介しました。後編では、生産プラットフォーム・ハブ 執行役員 ME事業グループ MEバックエンドセンター センター長の黒田悟氏、金型バックエンドセンター センター長の堀英樹氏、情報システム部ジェネラルマネージャーの中嶋史浩氏に、変革を支えてきた人と文化について聞きます。若手に挑戦を任せる文化、今も変わらない「納期への思い」、そしてAI時代に目指す製造業の姿に迫ります。

(聞き手:株式会社YKB代表取締役・東京都市大学准教授・日本オムニチャネル協会副事務局長 川邉雄司氏、株式会社リンクス代表取締役社長・日本オムニチャネル協会フェロー 小橋重信氏)

IT人材がいない。だから、現場の人間が自分たちで作った

川邉:前編では、投入管理からALASHI、meviyへと約20年かけてDXが広がってきた話を伺いました。こうした仕組みを作るIT人材は、どのように確保してきたのでしょうか。

中嶋:静岡では、そもそもIT人材を採用することが簡単ではありませんでした。私も以前は首都圏で働いていましたが、静岡市で1人応募があるとすれば、首都圏では150人くらい来るという感覚です。

そのため、製造のメンバーの中でプログラムを書けそうな人が、自分たちで仕組みを作ってきました。検査を支援するアプリ、加工を支援するアプリ、投入を制御するアプリなど、それぞれ現場で必要なものを作り、「部分の最適」をつなげて自動化していくという形でした。

小橋:最初から大規模なIT部門があったわけではないのですね。

中嶋:そうです。外部企業と開発したこともありますが、現場で起きていることをすぐ改善しようとすると、内製せざるを得ない部分がありました。しかしそれを続けたからこそ、結果として一つひとつの仕組みがつながり、自分たちの力になってきたのだと思います。

写真:情報システム部ジェネラルマネージャーの中嶋史浩氏

若手に挑戦させる文化

川邉:黒田さんは2002年に駿河精機に入社されています。入社した頃は、どのような働き方だったのでしょうか。

黒田:当時はシステムがほとんどありませんでしたから、何千という型番や工程を頭に入れていました。入社して最初の3カ月くらいは、カタログをノートに書き写して覚えていました。型番を見れば「この工程を通って、ここでこう加工して、ここでこの公差を保証する」と分かる。それが仕事のできる人間だと思っていました。1年目はほぼ研修でした。

小橋:その研修を終えた直後に、かなり大きな仕事を任されたんですよね。

黒田:新卒2年目のときです。当時の駿河精機の社長から「1億円自由に使っていいから、1億円のコストダウンをしろ。何をやるかはお前に任せる」と言われました。リーダーと私の2人だけのプロジェクトでした。

そこで、それまで仕入れていた樹脂やゴムの部品を内製化しようと考えました。でも、我々は金属加工の会社なので、樹脂やゴムについては全く分からない。

それでも、中古の設備を買いに行って、当時仕入れていた会社に「すみません、教えてください」とお願いして、金型の作り方や設備の使い方から教わりました。それをベトナムで立ち上げる。一つひとつやって、最終的には1億円のコストダウンを達成できるところまで持っていきました。

小橋:なぜ入社2年目の黒田さんに、そこまで任せられたのでしょうか。

黒田:若手にも「何をやるかはお前に任せる」と、思い切って仕事を任せる文化のある会社でした。

その後もベトナムへ赴任し、日本に戻った後にはインド工場を立ち上げに行って、36歳までインド工場長をやっていました。 若いうちから大きな仕事を任せてもらった。自分はそういう経験で育ったと思っています。だから今度は、自分が若い人たちに挑戦させたいという思いが強いです。

写真:左から、金型バックエンドセンター センター長の堀英樹氏、生産プラットフォーム・ハブ 執行役員 ME事業グループ MEバックエンドセンター センター長の黒田悟氏

仕事は変えても、「納期への思い」は変えない

川邉:約20年で、仕事のやり方は大きく変わりました。その中で逆に、昔から変わっていないものはあるのでしょうか。

黒田:一つ絶対的に変わらないのは、現場の「納期」に対する思いです。これは入社した当時から1ミリも変わっていないと思います。

堀:そうですね。DNAみたいなものですね。

黒田:例えば、小さなパンチ1本を今日工場から出荷して、翌朝にミスミの物流センターへ届け、そこから出荷して、その翌日にお客様へ届ける。それが約束した納期だったとします。

もし工場から予定通り出せなかったら、まず直送を考えます。それでも間に合わなければ、人が持っていくこともあります。九州のお客様なら、新幹線で福岡まで持っていって、そこからさらに届ける。小さなパンチ1本を届けるために、10万円かけることもあるんです。

小橋:物流の合理性だけを考えたら、そうした判断にはなかなかなりませんよね。

黒田:そうですよね。でも、文化なんです。納期遅れを回避するために、「やれることはやったのか」は絶対に聞きます。

もちろん、次から同じことが起きないように改善することも必要です。でも、やることをやらずに納期を諦めることはしない。それがある意味、ミスミのブランドにもつながっているのだと思います。

小橋:一方で、その文化を守ることと、昔の仕事のやり方を守ることは違いますよね。

黒田:そうなんです。例えば昔の私は、何千もの型番や工程を覚えていることに価値があると思っていました。自分が苦労して身につけたものだから、「誰でもボタンを押したらできるなんて、そんなわけない」と思いたくなるんですよ。

でも、それを次の人にも強要すること自体が間違っている。人が覚えたり判断したりしなくてもできる仕組みを作れるのであれば、そうすればいい。昔の自分の成功体験に固執するのではなく、自分自身が変わらなければいけないと思っています。

写真:左から、株式会社YKB代表取締役の川邉雄司氏、株式会社リンクス代表取締役社長の小橋重信氏

AI時代、「人が生み出す価値」をどう変えるか

川邉:「納期を守る」という目的は変えない。一方で、そのためのやり方は変えていく。その先に、これからどのような製造業を目指していきますか。

中嶋:ITの立場からすると、生成AIのインパクトは非常に大きいと感じています。私は、人がいなければいないほどチャンスだと思っています。

これから必要なのは、ミスミの中だけで通用するスキルではなく、どの会社に行っても市場価値が上がるようなスキルです。AIをうまくコントロールする側へシフトして、我々はものを作って利益を生み出すという本来の仕事に、より時間を使っていきたいですね。

黒田:私は製造と技術で育ってきた人間なので、人を大切にした仕事をしたいという思いがすごく強いです。

AIや技術が進化して仕事が置き換わっていったとしても、最後の最後は人間が重要なリソースだと思っています。人が「コマ」として仕事をするのではなく、「ここで仕事をしていて楽しい」と思える環境を作る。それが私のやりたいことです。

もう一つは、日本の工場の役割です。生産が中国やアジアへ移っていく流れは止められないと思います。その中で駿河生産プラットフォームが、ただの部品工場であり続けることはできない。日本だからこそ、より付加価値を出せる仕事は何なのかを探し続けなければいけないと思っています。

堀:私は、製造業の労働人口が想像を超えるスピードで減っていくと感じています。

これまで多能工化というと、一人の人ができる仕事を増やしていくという発想でした。でも、仕事に求められるスキルレベルをテクノロジーによって下げれば、「その仕事ができる人」そのものを増やすこともできます。

そうやってチーム全体の生産性を高め、そこで生まれた余力を、より付加価値の高い新しい仕事へ移していく。そして日本で作ったその生産モデルを海外の工場にも展開できれば、それが我々の価値であり、日本の価値にもなっていくと思っています。

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